令和5年(西暦2023年)7月17日(月・祝)、堺市東区日置荘西町東部会館で行われました「日置荘(ひきしょう)小学校創立150周年記念講演会」に講師としてお招き頂きました(写真@)

 堺市立日置荘小学校は私の母校で明治5年(西暦1872年)8月に「学制」が公布された年に啓蒙学館として創立。令和4年(西暦2022年)に150年目を迎えました。小学校としての150周年記念行事は令和4年11月に同校で開催されています。また同年記念誌の発行も行われました。しかしコロナ禍のため記念講演会は延期されたままになっていました。
 翌令和5年になって日置荘校区民生委員児童委員会の委員の皆様が中心になり、7月17日に150周年記念講演会を開催することになりました。私は昭和43年(西暦1968年)3月同小学校卒業です。半世紀以上も前に卒業した母校の記念講演を担当させて頂けるとは光栄の至りです。

 ところで私は医学部を卒業後、整形外科を専門にしてきました。それで骨折や骨粗鬆症の話が良いのではと考えていました。しかし今、100年に1度と言われる疫病、新型コロナ感染症を人類が経験したので、これについて話すようにという関係者の提案により「今伝えたい新型コロナウイルス感染症に対する3年間の闘い」というテーマになりました。
 内容は私の勤務するIHI播磨病院と相生市医師会で日々悩みながら3年間行ってきたことをまとめました。重症者の治療をして瀕死の患者さんを救ったとか新しい治療法を開発したというような華々しいことではなく、決して医療として高度な内容でもなかったかもしれません。日々「どうする、どうする?」と逡巡しながら、何とかコロナ禍の出口が見えてきた最近までのことをそのままスライドにしました。

 当日は天気も良く暑い日でしたが、日置荘西町東部会館大ホールは冷房も良く効いて快適な環境でした。やや心配した聴衆の数は約150名。日置荘小学校校長先生、堺市市会議員や開業医の先生、私の小学校時代の同級生も数名応援のため?参加頂きました。上記のテーマで1時間余り講演しました(写真A)。ちょっと予定時間が長引きましたが、皆様嫌な顔もせず最後まで聴いて頂いてありがたかったです。
 質問も複数頂きました。ちょっと的外れの回答しかできなかったようにも思います。ご海容ください。講演終了直後には、小・中学校の同級生からサプライズで立派な花束を頂戴しました。大変嬉しかったです(写真B)。最後にいろいろ現場でお世話頂いた方々と記念撮影しました(写真C)。本当にありがとうございました。
 暑い日でしたが何だか「ほっこり」して帰宅しました。このような講演をすることで、生まれ故郷や母校の日置荘小学校に多少とも恩返しができたとしたら望外の喜びです。

 さらに後日談があります。中学、高校ともに同級生のS君(T大学学長)から久しぶりにメールが来ました。お盆で日置荘の実家(御母上が今もお住まい)に帰ったら、90歳代の母が「お前と同級生の西川梅雄君がコロナの講演をすると広報誌(おそらく記念講演会のチラシ)に載っていた」と話されたそうです。実は彼の母は私の母と同じ女学校で同級生だったのです。何よりこの講演がきっかけで私の旧友との連絡や世代を超えた話もできて、個人的にも講演して本当に良かったと思うところです。こういうのを因縁とか絆(きずな)と言うのかもしれません。

「人は一人では生きていけないし、一人で生きていると思ってもどこかで誰かが気にかけてくれている。そのおかげで今を生きることができる。」のかも知れません。そんなことを考えさせてくれる今回の講演でした。今一度、関係者各位に衷心より御礼申し上げます。

 最後になりますが皆様のご健康とご多幸と日置荘小学校の益々のご発展を祈念致します。

令和5年9月吉日
 

写真@ 日置荘西町東部会館

写真A 講演中

写真B サプライズの花束贈呈

写真C お世話して頂いた方々と